五千円札の人
趣味は、と聞かれるとだいたい釣り・音楽・バイク・自転車あたりを答えるんだけど、実際の一番の趣味は読書、かもしれない。
自分としてはあまりに日常的な行動だから趣味って感じがしないんだけど、家でのちょっとした空き時間なんかはだいたい本を読んでいるし、そう考えると世間的には趣味っぽい。
ところで、なんか読書=勉強みたいなイメージがあるけど前々からこれには違和感があるのだ。
学生の頃ゼミの教授と話してて、「僕らの頃は、本ばっかり読んでないで勉強しなさい、って言われたけどね」というのを聞いて、そうそれ、って感じで激しく同意した。
そうそう、読んでて面白いから読んでしまうって感じなんだよね。
ただ残念なことに俺の場合は小説をあまり読まず、なぜか昔から論説文(特に歴史系)っぽいのが好きだったので、客観的に見ると余計に勉強っぽいってのは否定できないんだけども。
で、なんで本の話になったかと言うと、今日引越しの荷物を今さらながら片付けていたら新渡戸稲造の「武士道」が出てきて久しぶりに読んでしまったから。
この本、中学生後半ぐらいに初めて読んだ時にグッと来ちゃって、それから高校生ぐらいにかけて何度も読んだのだ。
何に感銘を受けたかというと、書いている主題についてはもちろんのこと、何より著者の文中で引き合いに出す西洋の古典に対する教養の豊かさと、この文章が100年以上前にまず英語で出版されたという事実だった。(もちろん俺のは日本語訳版だけど)
そのために正直言っておバカな中学生だった自分では、むしろその比喩がわからん…ってことが多々あった。
あの頃はまだ明治時代の日本なんて遅れてたってイメージだけを持っていたから、こんな本を書ける人が当時存在したということにすごく驚いた記憶がある。
そしてある程度いろんな基礎知識がついた今になって改めて読んでも、やはりすごいな、って感じる。
だいたい良い本っていうのは、自分の成長の各ステージでそれぞれに「読める」ものだと思う。
中学生の時に読んで感じたことと、今読んで感じることは違うんだけど、その時の自分の能力いっぱいであたれるというのは変わらない。
うーん、うまく表現できないけど。奥が深いってことなのかな。
で、この本を読むと思うのが、多分新渡戸稲造みたいなのを国際人って言うんだろうなということ。
自分の国の文化だとかの素養をしっかり持ちつつ、それを世界的に捉えてかつ異文化の人に伝えることもできる。
やはり自分の事と相手の事を理解してはじめて高次元の話ってできるんだと思う。
当時の国連の事務次長も務めたという実績も、さもありなんという感じだ。
しかしそう考えると、いま流行りの「国際人になるために…」はどうなの?という思いもしてしまう。
例えば新渡戸稲造が生まれたのは江戸時代、寺子屋で英語は教えていなかったと思う。
まあ、その人にとっての良い本ってのは出会うタイミングにも左右されるから、この本だって人には薦めにくい。
それでも今日これを久しぶりに読んで、振り返ってみると自分にとってはこの本から始まったことがすごい多いんだな~と気付いてここまで書いてしまった。
簡単なことでは、例えばここで引用されている元ネタも読んでみたりだとか。
そうそう、ローリングストーンズを好きになったことでブルースも聴くようになった的な。
次の発展としては、ぜひとも原文(英語)で読んでみたい。
訳文から想像するに、かなりかっこいい文章なんだと思う。
新渡戸稲造って紙幣の肖像の中では多分1番マイナーな存在だったと思うけど、個人的には諭吉よりも彼を1万円にしてあげたい。