丹後・若狭 その4
さてさて、今回も自分の記録のための思い出話。
やはり人間すぐ新しい環境に慣れてしまうもので、前のことはどんどん忘れてしまう。
さらに丹後や若狭地方なんて普通に関東で生活していると話題にすらならないからなおさらである。
そんなこんなで前回に引き続き、丹後地方の話。
丹後、要するに京都府北部は、福井県と接する東側から西にみると舞鶴市、宮津市、与謝野町、伊根町、京丹後市と続き、京丹後市の西隣は兵庫県となる。
そのうち舞鶴、宮津については書いてきたので今回はその西側について。
地理的には丹後半島となるこの地域、一言で表現するとド田舎。
丹後半島はけっこう大きく、ざっくり三浦半島の2倍くらいかと思わせる広さなんだけども、ことごとく大きな町が無い。
ただその田舎っぷりは少々独特で、青森の田舎のように民家がまばら、という感じではなく、なんというか日本が経済成長する前の町という感じなのだ。(ちょっと失礼だけど…)
だからなのかド田舎はド田舎でも不思議な郷愁を誘う地域で、時々訪れたくなるところだった。
この丹後半島の中で一番有名なのは伊根だろうか。
伊根はそれこそもうクラシックな漁村で、日本の漁村かくあるべし(?)という感じのところ。
ここは住居の1階部分が船の倉庫となる「舟屋」という建築で有名で、それにより「田舎の漁村」というイメージで意外とよくテレビや映画で出てくる。
たしか釣りバカ日誌でも出てたかな。
なんというか、それって日本の都道府県を全部挙げていくときに逆に島根や鳥取は忘れない、みたいな感じだと思う。(微妙な例え)
(伊根の舟屋)
舟屋に限らず、町には木造の古そうな家や酒蔵が並び、道路は車1台通れる程の幅しか無い。
この道を歩いて、こういうところで生まれ育つとまた全然違う人生なんだろうなーなどと思ったりした。
漁業の町である伊根では特に寒ブリが有名でめっちゃうまそうなんだけども、あいにくここでしっかり食事をしたことは無い。
ほんとに田舎で飲食店もわずかしかないのだ。いつか民宿とか泊まってみたいものだ。
そういえばこのあたりは浦島太郎伝説のゆかりの地で、近くに浦島神社というのがあった。
確かにこのあたりならカメの一匹や二匹助ければ竜宮城のような異世界に行けそうな気がする。
やはり昔からの漁村なのだろう。
伊根を越えると、丹後半島の大部分を占める京丹後市となる。
ここまで来るとそれはもう素敵な田舎で、道路も空いていて快適なドライブができる。
日本海って何となくどんよりして荒れているイメージがあるけれど、晴れた穏やかな日は本当にきれいで、一人車中で盛り上がったりしてた。
ちなみに、この辺は野村克也監督の出身地でもあるらしい…。
(写真は鳴き砂で有名な琴引浜)
残念ながら俺は体験したことはないけど、このあたりは知る人ぞ知る美味い料亭や料理旅館が実は点在しているらしい。
確かに、あれだけ素晴らしい海に面していれば魚料理はすごいだろう。
ところで日本海側では海の美味いものと言えばだいたいカニがトップに君臨しているのだけれど、この京丹後市の中にある間人(これで「たいざ」と読む。深いいわれあり)という地域のカニがその最高峰と言われている。
カニはどこで水揚げされたかによってランクがあり値段も大違いで、舞鶴でも1パイ2万ぐらいだから多分間人のは3,4万するんだと思う。
買ったことないからわからんけど。
関東人的には「カニにそこまでするか?」って気もしそうだけど、あちらの地方のカニはちょっと別物の美味さなので1度試してみるのをお勧めする。
刺身とか焼きとか、こっちではあまりやらないけど絶品。
間人のやつなんて大変なことになりそうだ。いつか食べてみたい。
そして、この京丹後市で一番好きだったのが丹後半島の北端、経ヶ岬。
日本海に突き出たこの岬と福井県の越前岬が若狭湾を形成しており、とにかくビッグな岬、というか断崖絶壁なのだ。
このあたりは人家も途絶え、暗くなってから車で走ると正直言って怖くなるほど。
道路も絶壁の上を走り、関東ではまずお目にかかれないここの光景を初めて見た時はすごい感動したのを覚えてる。
(経ヶ岬の夕日)
そういや偶然だと思うけど、ここに来ると高確率で猟友会的なおっちゃんたちが仕留めたイノシシを軽トラに載せてる場面に遭遇した。
もうほんとそんな感じの場所。10匹以上のサルの群れに出くわしたこともあった。
よくいまの日本は全国どこも画一化されてきて…、という話を聞くし実際どんどんそうなっている気がするけれど、日本は広くまだまだ色々なところがある。
たまたま仕事であの地方に住んでいただけだけれど、そういうことを肌で実感できたのは良い経験だったと思う。
さて、ここまでは舞鶴とその西側の丹後地方の話。
そのうち今度は東側の若狭地方についても書いていこうと思う。
若狭は今でもちょっと恋しい場所だ。