丹後・若狭 その7
舞鶴を離れ神奈川に戻って早4ヶ月目。
日本海での日々も、なんだかすっかり前のことのように感じる。
それでも、こっちは道路混んでるなーとか、魚高いなーとか、珍しく降った大雪なんかを思う時、ふっと心に丹後・若狭が浮かんでくる時もあったり。
舞鶴を中心に西側の丹後、東側の若狭について、自分の備忘録として書き連ねてきたけれど、最後に若狭の小浜のことを書いて「丹後・若狭」シリーズを終わらせようと思う。
もちろん他にも能登半島や琵琶湖北部あたりとか書き留めておきたい思い出深い場所もあるけれど、まあそれはまた後日。
小浜は若狭地方の中心的な町であり、前回の若狭・高浜町の時に書いた「若狭の文化的な素晴らしさ」を最も多く残しているところだと思う。
古くから奈良・京都の都へのルートが開けていたようで、今まで自分が福井県に対して抱いていたイメージとは異なり、非常に京都との精神的な距離が近い。
今も一部の町並みは小京都らしい風情があるし、海産物を京都に運んだ「鯖街道」の名残が残り、何より市内各地にある古寺の数とその格の高さは全国でも有数なんじゃなかろうか。
奈良とのつながりで言えば、東大寺のお水とりの元となる「お水送り」というのもある。
これは東大寺で出てくる水は若狭から流れたものという考えからきたもので、
「奈良の春はお水とりから」がここでは「若狭の春はお水送りから」になるとか。
今の小浜は残念ながら2両編成の各駅停車が停まるだけの、舞鶴よりも小さい地方都市だけれども、塗り箸の生産量が日本一だったり、名前つながりだけでアメリカの大統領を応援したりと、まだまだ微妙にその存在感は健在である。
舞鶴からは車で1時間弱と近く、道路も空いてて快適なドライブができるから、休日のちょっとした時間なんぞによく行っていた。
素晴らしい文化の跡と海辺景色の良さ、さらに若狭湾の海の幸…ってことで大好きな土地だったけれど、首都圏からのアクセスは悪いため今後は行く機会があまり無さそうで残念。
寺
まず、小浜と言えば寺。(たぶん)
小浜の寺は非常に古いところが多く、奈良時代や平安初期の建立がかなりある。
あと個人的な分類では寺には仏像系と庭園系があると思うのだけれども、そういう意味では小浜の寺はハイレベルな仏像系で、こんな田舎になぜ?という物がごろごろしている。好きな人ならばわざわざ遠くから訪れてもいいレベルだ。
京都や奈良と違うのは、幸か不幸かお客さんが圧倒的に少ないために仏像などの収蔵物が間近で見れることや、相当な高確率でお寺の人の解説がつくこと。
お寺の人と言っても、例えば奈良の薬師寺みたいな大きいところとは全然違って大体その辺のおじさんおばさんなので、この手の解説は色んな意味で非常に面白い。
人が少なくてマンツーマンになることが多いから面白いのに当たると結構大変だったりもするけど。
写真は恐らく小浜で一番有名な明通寺。
創建は坂上田村麻呂というビッグネームで三重の塔は国宝指定。
なんだけど、この先に寺(というか人家)なんてあるのか?と思うぐらい田んぼを越えたところにあるためか、京都奈良では考えられないほど人は少ない…。
食べ物
まあ寺は好き嫌いあるので小浜の他の魅力を、というとやはり海産物だろうか。
若狭湾に面した良港である小浜はうまい魚の宝庫。
ただの海辺の田舎ではなく古くから朝廷に海産物を献上しているだけあって、干物や漬物など、一手間加えたものも結構あっておいしい。
そんな中で一番有名なのは、やはり鯖。
大きめの鯖に竹串を通して素焼きにした「浜焼鯖」、ぬかで漬けた「へしこ」、有名どころでは鯖寿司など、かなりバリエーションがある。
今まで鯖ってあまりうまいイメージが無かったけれど、若狭の鯖はなぜかうまい。
今は地物だけでなくノルウェーの鯖もかなり使っているのに不思議…。
鯖寿司は京都でもよく目にするが、これこそまさに小浜~京都ルートの名残なのだろう。
ちなみに鯖寿司の派生形として最近開発された「焼き鯖寿司」は店によって違いはあるがマジでうまい。
駅弁や空弁で全国的にも出してるみたいなので機会があればぜひどうぞ。
それと、若狭でぜひ食べたい魚と言えば甘鯛。
(写真は自家用に買ったやつなのでちょい小さめw)
あのあたりでは「ぐじ」と呼ばれる高級魚で、刺身・焼き・干物をはじめどう料理してもうまい。品のある味。
若狭湾はカニも有名で確かにうまいけど、個人的にはカニよりもこちらの方がずっと良いように思う。
これも都へ運ばれていった魚で京都でもある。が、京都だと相当お高いので小浜で食べるのがおすすめ。
その他、ブリや今も皇室献上品の笹カレイなど、小浜はいい魚には事欠かないが、
あんまり書いてもお腹が空いて残念な気分になるだけなのでこのくらいで…。
魚がうまいところは全国いろいろあるだろうけど、町に残る伝統や落ち着いた風格を含めて考えると、小浜は「古い日本の豊かな海の町」の数少ない生き残りであると思う。
このまま変わらず残っていてほしい。あと、また行く機会が欲しいな。